新米フロントエンドエンジニアになった年。
春
3月に高校を卒業。春の約3ヶ月間を東京で過ごす。
東京での春は張り切りすぎて、周囲から頼られる存在になった時もあったけれど、そもそもまだまだ自信のなかった私は、その立ち位置を素直に喜ぶことができなかった。
具体的に言えば、新卒入社0ヶ月というキャリアで新人研修を率いる立場になってしまっていることへの違和感を消しきれなかった。
私の頭にあるのは、経験でも知見でもない、本に載っているありふれた知識と、少しだけ掘り下げた解釈だけで、そんな生半可な知識で教壇に立ってしまうということは、楽しかったけれど双方良くない気がしてきてしまったのだ。
もちろん勉強は常にしていたけれど、実際に現場でも同じことが通用するのか、それがわからぬまま、確信を持てぬままのことをもっともらしく話してしまっても、それに気づく人はいないわけで。
教壇に立つ回数を重ねるごとに、話し方で説得力を担保するしかない無知な自分に気づいてしまった。
さらに厄介なことに、外の世界には上の上の上がいることを知っていた。どうしたって経験には勝てないものがあることを知っていた。
だから経験年数や年齢で持て囃されても誇りはなかったし、逆に誇ってしまえば終わりだと思っていた。「これで通用するんだ」という安堵に変わって向上心を忘れてしまう前に、今の自分には到底手が届かないような、凄い人たちの中で生きてみたいと思うようになった。
また、HTMLを教える過程で、正しいHTMLを書く必要はどこにあるのだろう?という問いの答えを固める必要が生じ、自然とアクセシビリティという概念に辿り着いて。
バックエンドはシステムを動かすために成すものだけど、フロントエンドは人間に行動を喚起するために構築するもの。
ハードウェアと向き合うよりも、ユーザに直接向き合うことをより大切にしていきたいという思いだったり、インターネットが生活の中心になっている現代社会で、Webが多様性を吸収できなくてどうするんだ、という思いが芽生え、本気で情熱を注ぎたい分野を決めきれずにフルスタックを目指していた私も、ようやく方向性が定まった。
実は4月末に他社の方から直々にReactエンジニアとして一緒に働きませんか、というお声がけをいただいていたのだけど、当時は担当プロジェクトがだいぶヤバい状況で、結局時期を逃してしまい…
その後悔もあり、もしかしたら今のうちに頑張れば新たな道を拓けるかも、というちょっとした希望もあり、夏を迎える頃には次の道に進むことを決めた。
夏
一旦地元に帰ったものの、行きたい場所もこの時には決まっていたし、すぐにまた飛び始めようと思っていた。
しかしこの頃、脳の体力みたいなものが完全に枯渇していた。東京にいた頃、早朝から深夜まで仕事一筋だった上、いろいろなことで考えこみすぎて、バッテリーが摩耗してしまったのだろうな。凄くリソース配分が下手くそな人間でした、当時は。(東京時代、実は何度か医者にお世話になっていて、ある意味同期にとっては人間的な生活の重要さを学べる反面教師だったかも…)
コードを書こうにもファイル名を決めるだけで日が暮れるような、恐ろしいほど無力な夏が始まる。
思考力という資源は有限なんだと思い知って、それを余計な悩み事に費やすのはもったいないな、と感じて。
ここでちょっとだけ前向きな思考回路を構築できたが、当時はとにかくエネルギーが残っていなかったので、ぬんぬん考えや感情が湧いてしまうような情報源、SNSやら漫画やらテレビやら動画やら音楽やらはすべて絶って、INもOUTもプログラミングだけに注力していた。
一日一行書けりゃいい方、みたいな時期もあり、割とどん底だった気がするのだが、結果的には一夏で2000 commit、TypeScriptだけで11万行近く書いていたので、今となっては不調の信憑性が自分でも怪しい。
UXとかAtomic DesignとかOOUIとかWAI-ARIAとかインクルーシブデザインとか、いろいろな本を読み漁って、アウトプット面ではオレオレUIライブラリつくったり、型パズルブームが到来したり、VScode拡張つくったり、AST触ったり、謎にモノレポ構成を試してみたり、CSS in JSライブラリをつくりかけて諦めたり…
息切れがまだ残っていて、まだまだ取り戻せていない力もあって。そういう感覚は常にあったけれど、ある意味春よりアクティブな気もする夏…。
秋
まあ9月くらいには諸々の荒波が去り落ち着き始めていて、そろそろ飛びたいぞ、と。羽が疼いてきたっていうか…
東京の友人からも「早く戻ってこいよ!」という電話がかかってきたりね。
というわけでいろいろな企業の方と接点を持つ機会をつくり始めた。
夏が始まる時点で最初から憧れを抱いていた、大本命の会社(今の会社)…に応募するまでにまたうだうだしていたのだが。
その本命の会社の持つ「Webを変えていくぞ!」「日本のWeb界隈を引っ張っていくぞ!」という気概に強く惹かれていたのだけど、しかしつよつよメンツばかりだし…お世話になった本の著者もゴロゴロいるし…だから今すぐ入れる可能性は正直感じていなくて、どちらかというとフロントエンドエンジニアとして成熟してから辿り着く最終到達点のような…だから正直、もう一段階キャリアを積んでから挑戦しようかな、という気になりかけて揺らいでいた。
しかしそもそも緩やかなステップアップを望む性格じゃないので、早い段階でハイレベルな環境に身を置けるに越したことはない。
受けもせずに諦めるのはなにかしら引きずるものがあるだろうし…という当たって砕けろ精神で応募。
その結果、奇跡のように話が進み、入社LT…つよつよエンジニアの前で一体何を話せば…orzという苦境を越えて、迎えた面接当日。再び東京の地に降り立ったときの感慨たるや。
東京では監獄のような時も過ごしたけれど、何よりもそこで見た景色が忘れられなくて。ただの街並みでさえ、吸った空気でさえ。
面接は4~5時間に及んだものの、和気あいあいとしたオフィスが夢のような場所だったもので、帰りは新幹線の時間まで某駅の遊歩道をぶらぶらしながら、結果はどうあれ良い体験ができたなあ…と一旦おなかいっぱいになっていた。
それでも帰りの新幹線ではやはり悶々としていて、爆音イヤホンで気を紛らしていた最中に採用通知メールが。
春のこと、夏のこと、これまで選んできたものやってきたことすべてが意味を成して輝いて見えもしたけれど…凄い人たちの中に入れたところで、凄い人になれるとは限らない。長らく憧れたスタート地点が目前に迫っていて、身が引き締まる思いの方が強かった。
冬
11月入社。
やっぱりまだあまり現実味がないというか、留学している気分がちょっとあった。まったく理解できないというわけではないが、まるで異言語の世界で覚えたての言葉で会話が通じているような、ちょっと不思議な気分になる。
今の環境は幸せだけれど、ぶち当たる壁はたくさんある。
周りが凄すぎるので落ち込みかけることもあるけれど、多分それはこの上なく贅沢な悩み。世界一になれるほど天才じゃないから、多分どこに行っても何かしらの弱さは出てくるだろうし、だったらより上を目指せるほど幸せなことはないだろう。
この先
エンジニアとして
いろいろと背伸びをしてしまうことが多かった一年だったが、自分の無知さを覆い隠すような背伸びは、上を目指すどころか現状維持(=長い目で見れば衰退)に繋がる行為でしかないな…と思い知った年でもあって。
黙っていても教えてもらえる、学校のような場所なんてもうどこにもない。(学校をそういう場として使ったことがないような気もするが…)しかし、幸いにも議論に参加させてもらえる環境はあるわけだから、今の自分の思考や意見を恐れず話してみることで学びの機会を生み出すしかないだろう。
もちろん「それいいね!」「なるほど!」と言ってもらえるような提案ができたら一番だが、それがズレた発言であっても、それはそれで一つの議論を招く起爆剤にはなれるかもしれない。今はまだ残っている躊躇とか、外れかかっている殻を完全に取り払うことが2023年の第一の目標。
今、同じ仕事を共にする先輩方はやはりそれぞれの強みがあって、それぞれ別な視点で尊敬できる方ばかり。
良い解決策を明確な根拠を持って提案できるエンジニアになりたいとか、積極的にコミュニケーションを取ってみんなの意思を汲み取れる人間になりたいとか、アクセシビリティに強いエンジニアになりたいとか、グラフィックに強いエンジニアになりたいとか…いろいろな憧れがある。
この中で被りのない唯一無二のエンジニアになることは、数年スパンの遥かなる目標になってしまうだろうから、まずは同じ土俵で議論できる共通言語を増やすことから始めたい。最近になってようやく洋書という新たなインプットの選択肢を開拓したので、2023年は今まで以上に知識の摂取率を高めにしていきたいなと思う。
…という壮大な話をする前に、まずはPull Requestを的確に書くとか、Gitでミスをしないとか、そういう基本的なコミュニケーションスキルを磨いていかないと…
人として
学生時代は自分の夢だけに向かっていた一匹狼だった。
だから同じ立場の仲間と切磋琢磨するという経験自体がほとんど初だったし、何かあったときに駆けつけたくなる、そういう情が生まれるのは、出会ってからの時間に依存するものでもなく、明確なきっかけや根拠があるわけでもないということを知るまでにかれこれ20年の歳月(これまでの人生丸ごと)を要した。
BUMP OF CHICKENの「虹を待つ人」の一節、
見えない壁が見えた時には その先にいる人が見える
という言葉の解像度が爆上がりした年。
誰にも話していないこと、私自身ですら気づけていない部分を見抜く人もいて、どうして分かるのだろう?と千里眼の存在を疑った時期もあった。
それは真剣に向き合おうとすればいくらかは自然に成し遂げられることなのに、それが自分に向けられる可能性を否定していたこと自体が潜在的な壁だ。
新たな出会いも長年続く縁もあり、きちんと向き合ってくれる人に恵まれて、しかしみんな口を揃えて言うのが、「明るくてお喋りに見えるけれど、自分のことは何も話さないよね」という…2022年は壁が『見えた』だけで、まだその壁を越えられてはいないのだろう。いつまでも反省会フェーズにいたってしょうがない。2023年はその先へ行きたい。